「LGBT理解推進法案」が抱えるトランスジェンダー問題「女性と女性の飽くなき戦い」
■トランスジェンダー問題が進展しない理由とは?
また、トランスジェンダー問題が進展しない要因に、「男性にとってはトランスジェンダーに関する制度が出来ても関係がない」といった認識があることが危惧されます。
トランスジェンダー問題において、海外のニュースや動画がトレンドに上がる時は、そのほとんどが、女性が被害を訴える事例です。
このため、女性の立場については論争がおきることで当事者意識が芽生えますが、男性が被害者としての立場については見かけることがほとんどなく、当事者意識が芽生えにくいのではないでしょうか。
特に、女性のスポーツでは、体が男性のままのトランス女性が参戦し、優勝するなど議論が起きています。
どう考えても、それはあかんやろ案件なんですが、なんでこうなっているのか私にはちょっと理解できません。
例えば、アメリカ水泳界では、「男性から女性に性転換したリア・トーマス選手」が性転換後、NCAAの規則に基づき1年間男性ホルモン値を抑制するため実戦から離れたのち、女性選手として現役に復帰しています。
結果、女性の大会で優勝するなどしており、男性の体を持つトランス女性が、女性と同じ大会で競うにはアドバンテージがあるのではないか?といった声が出ています。
そもそも体格や筋肉量が違うので、肉体的なスポーツの世界にトランスジェンダー問題をもってきちゃあかんと思うわけですが、アメリカでは止められないほどトランスジェンダー勢力が強いんですかね?
また、女性である「リア・トーマス選手」は女性と同じ更衣室を使用しており、大切な部分を隠さず歩き回っていることにチームメイトから批判の声が上がっているようです。
他にも、総合格闘技や重量挙げなどでトランス女性が参戦しており、危険性やその是非を問う議論が巻き起こっています。(注2)(注3)
諸外国では、活動家と当事者意識のない男性たちによって制度が作られることで、制度上の問題が起きてしまっている構図があるように感じます。
こういった形で制度が作られないよう議論を尽くすべきですが、議論を進めるにあたってひとつの壁になると思われるのが、「女性」への価値観です。
内閣府より示されている「男女共同参画社会」の説明をみても、女性については従来どおりの価値観に沿って語られているように読み取れます。
男女共同参画社会とは、「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」です。(男女共同参画社会基本法第2条) (注4より引用)
※ただし、男女共同参画社会基本法案に対する附帯決議に「性別によるあらゆる差別をなくすよう」との記載あり。
あらゆる制度が従来の女性に対する価値観を前提に作られており、新しい女性に対する価値観をどうとらえていくのかを考えなければ、「女性」という言葉だけがひとり歩きしつづけることになってしまいます。
また、従来の女性に対する制度を、そのままトランス女性に適用することに問題があるとするなら、男性が女性を差別してきた歴史と同じく、女性がトランス女性を差別するのか?といった問いかけが出てきます。
私たちは、この問いかけに対して、矛盾なく社会が受け入れ可能な答えを見つける必要があるのではないでしょうか?
そのためにも、議論を尽くして社会全体が問題への理解を深めながら、社会が許容できる制度づくりが必要になります。